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Contents
「欠点をなくして、立派な人になる」と思っていました
TL;DR:人とこじれた関係を抱えたままの人へ。『人間を磨く』は、恩師に「君は、可愛気が無い」と言われた著者の体験を入り口に、未熟なままでも人と向き合い、結び直していくための七つの技法を語る本です。
目を合わせにくい相手ができたまま、季節だけが過ぎていく。人間関係のこじれを、そのまま抱えてしまうことは、案外よくあるものです。
私も「人間を磨く」とは、欠点をなくして立派な人になることだと思い込んでいました。人間について、一度きちんと考えを整理したくて手に取った一冊が、田坂広志さんの『人間を磨く 人間関係が好転する「こころの技法」』です。
読み終えて心に残ったのは、著者が恩師から受け取った「君は、可愛気が無い」という一言でした。
タイトルの「優等生」とは、著者自身のこと。ほとんど叱られないまま研究室の二年間を終えた日の、最後の挨拶で言われた言葉です。可愛気とは、自分の非を素直に認める、しなやかな心のことでした。
著者・田坂広志は、どんな道を歩いてきた人か
この本の基本情報
著者:田坂広志。工学博士(原子力工学)。シンクタンクの設立に参画し、多摩大学大学院教授、内閣官房参与などを歴任しました。
出版:光文社新書・2016年。『知性を磨く』『人は、誰もが「多重人格」』と続いた三部作の、完結にあたる一冊です。
読みやすさ:七つの「こころの技法」を一章ずつ語る構成。どの技法からでも取り組んでよい、と著者は書いています。
なお、これらの肩書は刊行時(2016年)のもので、現在は多摩大学大学院の特任教授・名誉教授、2023年からは学校法人21世紀アカデメイアの学長を務めています。
研究や教育、政策の場を歩いてきた人が、この本で繰り返し語るのは、立派になる方法よりも、自分の未熟さを見つめる話です。
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機械を相手にする仕事をしていて、浮かんでいた「人間」への問い
パイロットという職業は、機械を相手にする仕事だと思われがちです。けれども、ずっと感じていたのは、実は「人間」の判断や思考、そして人間関係がとても大事だ、という感覚でした。
この感覚を、一度きちんと整理しておきたかった。それが、この本を手に取った理由です。
ページを開く前の私にとって、「人間を磨く」はもっと単純な言葉でした。欠点を直し、非を改めて、だんだん立派な人に近づいていく。それが磨くことだろう、と。
振り返ると、この見方は、ふだんの会話にもそのまま溶け込んでいる気がします。「あの人は人間ができている」「人間として未熟だ」。磨くという言葉の裏で、完成した人間からの距離が、いつも測られています。
「謙虚であれ」と教わってきたはずなのに、いざという場面では、相手の欠点ばかりが目についてしまう。そんな日には、「人間を磨く」という言葉が急に遠く感じられる、という人もいるかもしれません。
著者は冒頭で、古典を読んでも人間力がなかなか身につかないのは、意志が弱いからでも、克己心が足りないからでもないと書きます。本当の理由は、古典の「読み方」を誤解していること。理想の人間像という山頂だけを眺めて、山道の登り方を学んでいない、というわけです。
意志の強さを試されるようで、自己啓発書から少し距離を置きたくなったことがある人には、この入り口は違って見えるかもしれません。
『人間を磨く』を要約すると——7つの技法の入り口にある「可愛気」
本書が最初に揺さぶってくるのは、「磨く=完成させる」という等式です。著者は六五年の歳月を生きてきて、いまだ人格の完成にはほど遠いと、冒頭で率直に認めます。
親鸞の「心は蛇蝎のごとくなり」を引いたうえで、そうであるなら、非も欠点もある未熟な自分を抱えたまま、良い人間関係を築いていけるのではないか。その問いから、本書は動き始めます。
第一の技法で語られるのが、タイトルにした逸話です。著者は一九七四年に東京大学の工学部を卒業したあと、放射線医学を学ぶために、二年間、医学部の研究室で学びます。師事したY教授は、話が分かりにくければその場で発表を止めるほどの厳しい人物でした。
それなのに著者は、ほとんど叱責を受けないまま二年間を過ごします。最後の挨拶では「君も、よく頑張ったな」「君は、優秀だな」と声をかけられました。そして「しかしね……」と続けて、目を見ながら静かに告げられたのが、「君は、可愛気が無い」という一言でした。
なぜ、非の無い優等生が、周りから好かれないのか。本書の答えは、この一節にあります。
人は、非があり、欠点があり、未熟であるから、周りの人の心が離れていくのではない。人は、自分の非を認めず、欠点を認めず、自分には非が無い、欠点が無いと思い込むとき、周りの人の心は離れていく。
(第一の「こころの技法」・「「優等生」が、周りから好かれない理由」)
距離を生んでいるのは、欠点そのものではなく、非を認めない心の癖だという指摘です。著者は、「可愛気」とは、素直に自分の非を認め、欠点を認め、未熟さを認める「しなやかな心」のことだった、と書いています。
できる人と見られているほど、自分の非を口にするのは難しくなることがあるのかもしれません。著者のいう「可愛気」は、その固さを少しゆるめる言葉に思えました。著者の人生を支えたのも、欠点を消す力ではなく、非を認める心のほうでした。
七つの「こころの技法」は、一章に一つずつ語られます。目次に並ぶ名前は、こうです。
- 第一の「こころの技法」 心の中で自分の非を認める
- 第二の「こころの技法」 自分から声をかけ、目を合わせる
- 第三の「こころの技法」 心の中の「小さなエゴ」を見つめる
- 第四の「こころの技法」 その相手を好きになろうと思う
- 第五の「こころの技法」 言葉の怖さを知り、言葉の力を活かす
- 第六の「こころの技法」 別れても心の関係を絶たない
- 第七の「こころの技法」 その出会いの意味を深く考える
どれも、人間関係の問題に直面したとき、思い出して、少しだけの努力で実践できる技法だと著者は書いています。七つのうち、読み終えたあとまで残ったのは、最初の一つでした。
もっとも控えめに見えるのも、この第一の技法です。心の中で、自分の非を認める。声のかけ方でも言葉の選び方でもなく、心の中での話です。明らかに自分に非があるときなら、まだ分かります。では、明らかに相手に非があるときは。この問いに、本書は「引き受け」という言葉で答えようとします。そこまで含めて、心の置き所の話なんですね。
非を認めるというと、負けを認めることのように聞こえます。けれども本書が繰り返し語るのは、ぶつかった「あと」のことでした。
完成をめざす話だと思っていた「磨く」が、歩き方の話に変わった
読み始める前の私の頭には、完成しかありませんでした。欠点を一つひとつ直し、非を改め、磨けば磨くほど立派な人間に近づいていく。曇りを取るように、汚れを落とすように。そんな種類の作業だと、思っていたんです。
ところが、恩師のあの一言の話に戻ってみると、等式が揺れ始めます。「君は、可愛気が無い」は、欠点を数えた言葉ではなく、素直に非を認める心を持ち合わせていないと指摘した言葉でした。この逸話が、読み終えてからも心に残り続けています。
では、非を認めるだけでは、なぜ足りないのか。本書は第二の技法で、ぶつかったあとの朝のことを語ります。目を合わせるのがつらい朝、それでも自分から声をかけること。その意味を、私はこの一節で受け取りました。
人とぶつからない人生、心が離れない人生が、良き人生ではない。人とぶつかり、心が離れ、なお、それを超えて、深く結びつく人生。それこそが、良き人生である。
(第二の「こころの技法」・「互いの「固まった心」が、瞬時に溶けるとき」)
読む前の思い込みのままなら、この一文も「人間関係には苦労もある」くらいの励ましに見えたかもしれません。けれども、非を認める話の直後に置かれているからか、受け取り方が違いました。
ぶつからないことが上手なのではなく、ぶつかったあと、自分から声をかけ、目を合わせて、関係を深く組み直していくことが上手、ということになる。磨くとは、曇りを消す作業ではなく、ぶつかったあとの歩み方の話なんだと。
本の中で、著者自身の朝も語られています。会議で意見がぶつかった同僚に、翌朝、廊下で自分から「A君……、昨日は、すまなかったな……」と声をかける。その朝、背中を押したのも、あのY教授の一言だったそうです。ぎこちない詫びの言葉に、相手からは「俺こそ、少し言い過ぎたよ」という言葉が返ってきました。
互いの固まっていた心が溶ける瞬間を、著者は何度も体験してきたと書きます。ふだん完璧に整えている人ほど、この一歩が重いのかもしれません。
著者によれば、ぶつかったあとの心の奥では、二つの感情が動いています。つい感情的になった自分への「自己嫌悪」と、相手もどこかで自分の悪口を言っているのではないかという「他者不安」です。
だからこそ、自分から「すまなかった」と声をかけることが、互いのその二つを緩めることになる。本書は、ぶつかりを関係を壊すだけの出来事とは見ません。深いところで結び直す好機にもなりうる、と書きます。
もちろん、謝ればすぐ元に戻る関係ばかりではありません。本書も、心を開いてもらえないときがあると認めたうえで、それでもこちらの思いは相手に届いている、と書いています。
機械なら、手順どおりに扱えば、手順どおりに応えてくれます。人の心は、正解を押し込んでも、そうは動かない。「心の置き所」という、どこにも手順の書いていない話が、整理したかった問いにそのまま重なりました。
本書は最終章で、磨くとは究極、何を磨くことなのかに答えます。心の中の「小さなエゴ」は、捨てようとしても消えず、抑え込んでも、別のところから顔を出す。だから否定せず、ただ静かに見つめる。
見つめ続けていくと、「心の鏡」の曇りが取れ、自分の姿も、相手の姿も、ものごとの姿も、ありのままに見え始める。著者の答えは、そんな形をしていました。
(磨くべきだったのは、欠点のリストではなく、自分の心の鏡のほうでした)
読み終えて、変わったのは考え方でした。人間を磨くとは、欠点の無い人になることではない。未熟な自分のまま人と向き合い、ぶつかりながら、心の中の「小さなエゴ」に気づき続けること。いまは、そう考えられるようになりました。完成を目指す話ではなく、歩き方の話です。
読む前
「人間を磨く」=欠点をなくして、立派な人になること
欠点を一つずつ直して、完成に近づいていく
読んだ後
「人間を磨く」=未熟な自分のまま、人と向き合い続けること
人と向き合うぶつかる心の中の「小さなエゴ」に気づく↺ くり返す
完成をめざす話ではなく、歩き方の話
理不尽に耐える本ではない。そのうえで、合う人と合わない人
手に取るとしたら、こんな状況の人だと思います。
- 目を合わせにくい相手ができて、何か月もそのままになっている人
- 叱ったあとの部下や後輩に、声をかけるタイミングを逃し続けている人
- 「嫌いなものは嫌い」で割り切ってきた結果、職場や家庭に薄い壁を感じている人
- 古典や自己啓発書に挫折して、「人間力」という言葉そのものに距離を置いている人
全部が重なる必要はありません。一つでも引っかかる場所があれば、読む価値はあると思います。
反対に、合わないタイプもはっきりしています。相手を動かす話術や、対人テクニックのレパートリーを求める人です。本書が問い続けるのは、常に自分の心の置き所であって、相手の操り方ではありません。
再現性のある科学的な根拠や、即効性を探している人にも、形としては届きにくいと思います。根拠として挙がるのが、古典の言葉と格言、そして著者自身の体験談であることも、先に知っておいたほうがよいでしょう。
読むときの注意
ひとつ添えておくと、本書の「引き受け」や「自分から謝る」は、心の中の姿勢の話です。理不尽な要求や暴言を黙って受け入れることと、同じにしないほうがよいと思います。距離を取ることと、自分の心の動きを見つめることは、両立するはずです。
そのうえで、七つのうち気になった章から読んでみる、という入り方もできる本です。
『人間を磨く』を読みおわった人へ——結論と、言葉の側の次の一冊
この記事の結論
要約すれば、『人間を磨く』は欠点の無い人間になるための本ではなく、未熟な自分のまま人と向き合い、ぶつかりながら「小さなエゴ」に気づき続けるための本です。
こころの側を整えたあとに、言葉の側も整えたくなった人には、『ロジカル・シンキング』(平井孝志・渡部高士)を隣に置いておくのがよさそうです。本書が「心の置き所」の側だとすれば、こちらは言葉の組み立ての側。
思考の組み立てについては、『問題解決プロフェッショナル』の書評で、「頭のいい人」がなぜ結論から話すのかを考えました。言葉の順番に手を入れたい人は、そちらから入るのも近道だと思います。
本には、この記事で触れなかった話も残っています。十年近くたって動いた部下との関係(第六の技法)や、カナダの旅先で起きた思わぬ「試験」(第七の技法)は、著者自身が本の中で語っています。
読むか迷っているなら、まず試し読みで構いません。手元に置いて繰り返すことに値する一冊だと思いますが、図書館で借りて、気になる章だけ読むという入り方でも、十分に始まります。
本の終わりのほうで、著者は静かに「求道、これ道なり」という言葉を置いていきます。道を求め続けたその歩みこそが、すでに道なのだ、という意味だと続いていました(終章・「「人間を磨く」とは、究極、何を磨くことなのか?」)。
考え方が変わっても、次にぶつかった朝に自分から声をかけられるかどうかは、また別の話です。ただ、欠点のリストより先に、心の鏡を思い出す。その順番だけは、この本から持ち帰れた気がします。
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